はちこの終活記録

2018年春に急性骨髄性白血病で亡くなった母のおかしな闘病生活と不思議な終活記録を残してみたいと思います。

白血病 処方薬の違いはなんだろう?

白血病になる前まで、バッチリ成人病だった母は高血圧や糖尿病の薬を服用していましたが、白血病寛解を迎えて大学病院を退院してから、自宅で服用する処方薬の量は処方箋薬局の方もビックリするほどの量でした。

そして、再発による転院で主治医が変わると、今度はビックリするくらい少ない量に変わり、母とも二人で顔を見合わせて「なんでだろ?」と、目が点になりました。

もちろん薬は少ない方が負担が少ないから有難いのですが、こんなにも違うもの???

白血病の発症前は、毎月の薬代が1万円程度でしたが、大学病院から処方される薬代は5〜6万円😱転院先で処方される薬代は数千円程度😅ナゾです!

白血病自体には抗ガン剤での治療が済んでいるので、それに伴う感染症予防のための抗菌薬などがメインなのでしょうが、大学病院の時の薬は錠剤、液体、粉末のフルコース😅転院先の病院では錠剤が数個😅同じ病気でも主治医の見解で薬もこんなにも違うものかと驚きました。

白血病の食生活

病気になると、いろいろな制限があると思いますが、白血病はその中でも制限される事項が多い病気なように感じます。

中でも食生活、抗ガン剤によって血球の数値が下がると病院で出される食事は「加熱食」と言って、全て火を通したものになります。ベジタリアンのように生野菜が大好きだった母にとっては、何よりも苦痛なのが食事面だったようです。

病院によっても制限が違うようで、最初にお世話になった大学病院ではヨーグルトはダメ、餡子はOKだったのですが、転院先の病院ではヨーグルトはOK、餡子は生物になるのでダメと言われて逆転しました😅

感染症を起こしやすくなっているので、ペットボトルのお茶やお水を飲むにも、一回ずつ紙コップに入れて飲み、紙コップはその都度処分します。飲み物も食べ物も、大きなパックのものではなく、個包装になっている小さなパックをその都度食べ切るようにしなくてはならず、退院中の自宅でも同様にしていたので、母だけ牛乳もジュースもパックで用意しておくので、結構割高だったかも?紙コップも相当な消費量になるので、浅草橋のシモジマで100個入りの物を買っていました💦

白血病は一度の治療にかかる入院期間が長いので、最初は物珍しかった病院食も飽き飽きしてきます。大学病院では、パンとご飯位の選択しかできなかったように思いますが、転院先の病院では3種類の献立から自由に選べ、追加料金を支払うとちょっと内容がグレードアップ出来たりもしたのですが、1年の半分以上を病院で過ごすことになるので、それも飽きるのは仕方がないかもしれません。

食生活の制限は、主治医の先生の見解による違いも大きいようで、転院先で母がお世話になった先生はわりと寛容な先生だったので、自分に甘い?母にはちょうど良かったのかもしれません😅血球の数値が良い時は、先生にもお裾分け〜とか言って先生を巻き込み、大好きなうさぎやのどら焼きとか堂々と食べていました💦そして、デパ地下のお弁当はもちろん、病院は都心のど真ん中なので、外出届を出してランチやディナーにも行かせてくれました。帝国ホテルやら叙々苑やら、役得で私も美味しい物を食べられて結構楽しかったです。

本当はこんなに大胆な食生活をしててはいけないのかもしれませんが、高齢者と言うこともありQOLを考えて許してくれていたのかもしれません。食べることとお風呂位しか楽しみのない入院生活、この事でかなり気分転換も出来たので、先生には本当に感謝です。

 

 

最後の治療選択

髄注で得られた効果を寛解とするなら再々発になるのでしょうか、、、神様がくれた時間を過ごし、新たな治療生活が始まりました。

今までと同様のシルバーサイズ?の抗ガン剤治療を行いましたが、今度は今までの抗ガン剤では効果が見られなくなってしまいました。

そこで主治医の先生からお話があったのは3つの選択肢

(1)今までの抗ガン剤を強める

(2)新しい治験薬を試す

(3)無治療で生きられるだけ生きる

でした。

高齢者だからか?再々発だからか?まさか「無治療」という選択肢を与えられるとは思わずビックリしました。

昔はガンと診断されると、本人には伝えないでおくというケースが多かったのでは?と思いますが、今は病名の告知を行い治療の選択も本人の意志で決めることが普通になっているのでしょうか?無治療となると、もう末期状態であることを告げられたも同然、少し残酷な気がしました。

でも、2年に及ぶ入退院を繰り返す闘病生活、完治の見込みがない病気と闘うことに母は疲弊していました。本当は無治療を選択したかったようですが、家族のために新しい治験薬治療を選択してくれたように思います。初めて受けた治験薬治療が効果が大きく、身体的な負担も髄注の時などに比べると小さいように感じていたこと、そして何よりも母を失うことへの恐怖もあり、私も治験薬治療を勧めてしまったのでした。今となってはこの選択が正しかったのかどうか、私の中でモヤモヤした気持ちが少し残っています。

神様がくれた時間

白血病の脳への浸潤があったものの、髄注のおかげで奇跡的な回復を遂げた母、好中球は低空飛行なままでしたが、意を決して「退院する!」と11月半ばに退院し、そこから3ヶ月ほど白血病がまるで嘘のように元気で楽しい時間を過ごす事ができました。

毎週の通院はあるものの、血液検査はお正月を過ぎてもずっと良好なままで、食欲も旺盛!闘病生活ですっかり痩せていましたが、9キロも太っちゃったわ!と大好物の千疋屋マスクメロンパフェもペロリと平らげ、デパートにも一人で買い物に出かけ、自宅のリビングに卓球台を広げて家族で卓球大会までするほど😅

通院に同行し、結果を聞くまでドキドキの日々でしたが、ずっとこの時間が続いてくれたらいいなぁと思うと同時に、私の中でこの時間は神様がくれた時間なのかな?そんな思いもありました。

そして、その予感は的中、、、2月に入っての通院で、また末梢血に芽球が顔を出してきました。本人には相変わらず何の自覚症状もなく元気なのですが、今度は今までの抗がん剤が効かない事態に💦

でも、この神様がくれた時間、娘のピアノコンクールや発表会、大好きなピアニストのコンサート、大好きなレストランにも何度も行く事が出来て、母にとっても家族にとっても楽しい思い出がたくさん出来た時間でした。

葬儀場を決めておく

白血病を発症して、3クールの抗がん剤による闘病生活を経て寛解を迎えて退院した時に、新聞の広告に入っていた葬儀場のチラシを見た母は「ちょっと付き合ってー💕」とランチのお誘い?のような勢いで、自宅近くにある葬儀場へ私を連れて行きました💦

我が家は明治より前からずっと現在の位置に住まいがあり、釣り仲間だったり同級生だったりと何かと縁があり懇意にしている葬儀屋さんがあり、祖父母の葬儀もそこにお願いしていました。祖父母の頃は、自宅で葬儀を行なっていましたが、今やオフィスビルになっている自宅で葬儀をするわけにもいかないし、世の中的にも葬儀場で行うのが主流のようです。母は密かにいろいろな葬儀場の広告をチェックしていたらしく、自分のお眼鏡にかなった葬儀場を選んでいたようです。

お部屋を見せて頂いた時に、今晩のお通夜に向けて祭壇の準備に来ていたお花屋さんが、偶然にも母がずっと懇意にしているお花屋さんだったのでビックリ!でも、もっと驚いたのはお花屋さんの方かも😅「なんでこんな所にいるんですかー?」と当然聞かれ、自分の病気の事を話し、ちょうど装飾中の祭壇がとてもモダンでお洒落で母好みだったらしく「私もこんな感じでお願いねー!」と予約オーダー?言うまでもなく、この後ずっとお花屋さんに行く度に「お母様大丈夫ですか?」と聞かれるのでした😅

母の葬儀プランの中で一番のネックは「ピアノ演奏」を入れるということ、、、ピアノの置いてある葬儀場なんてあるのかな?と思っていたらこんな近くにあるなんて‼️ピアノがあることに加えて、お花屋さんのご縁もあり、ここの葬儀場に即決!「私の葬儀なんだから、私が会員になっても仕方ないから貴女が会員になってねー💕」と私が会員になることに😅葬儀場の方も「お嬢さんが会員になられれば2親等まで割引範囲が適応されますから良いと思いますよー」って、、、😅なんか縁起悪いやん💦

生きているうちから葬儀場の会員になっておくというのは聞いたことがあるけれど、白血病という完治の難しい病気にかかってしまったからか?エンバーミングの事や棺の色、棺に入れる物まで全部自分で決め、私に託して行きました💦遺影の撮影もしておきたかったようですが、この時はまだウィッグ生活だったので叶わず残念😅

そんなこんなで、あっという間に母の葬儀プランは決定したのでした。当時は縁起悪いのでは?なんて思っていたものの、実際に葬儀をする時になると、こうして全てを決めておいてくれたので全てがスムーズに進みました。本人が納得出来て、残された家族にとっても迷う事なくいろいろな算段が出来たのはとても有難い事、こうして決めておくことも大切なのかもね?と思ったのでした。

 

白血病 脳への浸潤

初めての治験薬治療を中止せざるを得なくなり、何もしないでいると直ぐに芽球が顔を出してきました。このままにしておくわけにいかないので、最初に大学病院で受けた薬とは違う抗がん剤で治療を開始することになりました。この抗がん剤は点滴によるものでしたが、こちらも脱毛の副作用はないらしい!それなら最初からこの抗がん剤にすれば良かったのに?なんて素人の私は思ってしまいますが、お薬にもいろいろあるのでしょう💦

末梢血の芽球は落ち着き、骨髄の方もあと一息と言った頃になって、母の視線がなんかおかしい?黒目が横に流れてしまうような感じ?

主治医の先生によると、白血病によるものか?持病の糖尿病によるものか?が考えられるとのこと。え?でも、今は抗がん剤白血病は抑えられてますよね?と思ったら、頭への浸潤は体への抗がん剤投与とは別問題だそうで、髄注という脳への抗がん剤投与が必要になるのだそうです😱

髄注をやってみて、目が治れば白血病によるものだし、治らなければ糖尿病などの別の原因になるとのことで、、、なんか微妙😱😱😱

で、結局、母の目は髄注ですっかりもと通りになり、白血病が脳へ浸潤していることが確定となったのでした😱抗がん剤で治ったものの、喜ぶべきなのか?悲しむべきなのか?

今まで抗がん剤で辛いと思う副作用はなかった母ですが、この髄注では酷い口内炎が出来て、唇はタラコになっちゃうし、口の中はすぐに血だらけになってしまい固形物が食べられず、辛そうでした。

でも、この髄注によって目が治り、抗がん剤によって血液状態も良くなったので、退院することができ、奇跡の3ヶ月✨今となっては神様がくれた時間なのかな?と思える最後の時を過ごすことが出来たのでした。

白血病 治験薬による治療 その1

母は亡くなるまでに2種類の治験薬による治療を受けました。

最初の治験薬は、再発後に受けた最初の治療です。国内の製薬会社のもので、飲み薬の抗がん剤でした。抗がん剤=点滴と思い込んでいたので、飲み薬にはビックリしました。医学、薬学の進歩によってより負担の服ない治療法が確立されてきているのかな?副作用も吐き気、倦怠感等はあるそうですが、脱毛の副作用はないとのことでビックリ!女性にとっては、とても有難いことだと思います。

母は、通常の抗がん剤治療でも脱毛以外の副作用は殆どなく、今回の治験薬でも始めのうちは同様でした。

お薬の服用を始めて1週間くらいすると劇的に芽球が減りました!がしかし、同時に血小板やヘモグロビン数値も下がってしまっているので元気なのに無菌室から出られない生活😅この治験薬は、一定期間飲むのではなく飲み続けるタイプ、、、え?ってことはずっと血球は改善されないのー?😱

そんなわけで、母の血球数値は低空飛行のまま、全然元気だけど感染症を起こしやすいので無菌室から出られない状態が続きました。最初は新しい病院で新しい治療、薬の効果も見られて良かったのですが、次第に終わりの見えない治療に母もうんざりし始めました。白血病に対する薬の効果は出ているので、治験薬を止めるという選択は考えらず、思い切って少しずつ外出してみたりして様子を見る事になりました。外出で自宅に戻ったり、週末だけ外泊してみたりしたものの、感染症を起こすこともなかったのですが、、、突如として肝臓の数値に異変が現れ、これ以上治験薬を続けることは出来なくなったのでした。上手く外泊も出来てきていたし、何か自覚症状が何かあるわけでもなかったので治験薬が終了となるのはちょっと残念な気がしました。

そういえば、もう一つ副作用がありました。治験薬治療を始めて3ヶ月位経った頃だったかな?皮膚に発疹が見られるようになりました。発疹は痒いわけではないものの、見た目が結構グロテスクに💦処方された軟膏を塗っているうちに赤みが引いてきて、今度は皮膚がパラパラとめくれてきました。落屑というそうですが、日焼けしたあとに皮がめくれてくる感じ?日焼けなら一度で済むものの、何度もめくれてくる、、、💦いくら保湿剤を塗ってもこの落屑には勝てませんでした😅

外出や外泊で帰宅する機会も多くなっていたので、我が家にはルンバ導入!ルンバの動きが可愛い💕と母にとってルンバはペットのような存在に😅今はルンバ君、主人を失ってリビングにちょこんと置かれたままになっています。