はちこの終活記録

2018年春に急性骨髄性白血病で亡くなった母のおかしな闘病生活と不思議な終活記録を残してみたいと思います。

最後の治療選択

髄注で得られた効果を寛解とするなら再々発になるのでしょうか、、、神様がくれた時間を過ごし、新たな治療生活が始まりました。

今までと同様のシルバーサイズ?の抗ガン剤治療を行いましたが、今度は今までの抗ガン剤では効果が見られなくなってしまいました。

そこで主治医の先生からお話があったのは3つの選択肢

(1)今までの抗ガン剤を強める

(2)新しい治験薬を試す

(3)無治療で生きられるだけ生きる

でした。

高齢者だからか?再々発だからか?まさか「無治療」という選択肢を与えられるとは思わずビックリしました。

昔はガンと診断されると、本人には伝えないでおくというケースが多かったのでは?と思いますが、今は病名の告知を行い治療の選択も本人の意志で決めることが普通になっているのでしょうか?無治療となると、もう末期状態であることを告げられたも同然、少し残酷な気がしました。

でも、2年に及ぶ入退院を繰り返す闘病生活、完治の見込みがない病気と闘うことに母は疲弊していました。本当は無治療を選択したかったようですが、家族のために新しい治験薬治療を選択してくれたように思います。初めて受けた治験薬治療が効果が大きく、身体的な負担も髄注の時などに比べると小さいように感じていたこと、そして何よりも母を失うことへの恐怖もあり、私も治験薬治療を勧めてしまったのでした。今となってはこの選択が正しかったのかどうか、私の中でモヤモヤした気持ちが少し残っています。