はちこの終活記録

2018年春に急性骨髄性白血病で亡くなった母のおかしな闘病生活と不思議な終活記録を残してみたいと思います。

高齢者白血病の治療

入院翌日の午後から抗がん剤治療が始まりました。

治療開始にあたり主治医の先生方が説明をしてくれましたが、母の年齢は70歳なのでミニ移植を含む移植治療は対象外とのことで、一般的な抗がん剤による治療を行うとのことでした。それも、高齢者向けなので本来の薬の量よりずっと少ない量での治療になります。高齢者とはいえ、そんな少ない量の薬で効果あるのかな?と思いましたが、見事に1クール目で芽球はなくなりました。

記憶が定かではありませんがキロサイドという抗がん剤を5日間投与して、徐々に血球の数値が下がっていくので、その回復を待って一度退院。これを3クール行いました。退院といっても2〜3日自宅に戻れるだけで、すぐに次クールの治療が始まります。だいたい1クールあたりの入院日数は1ヶ月程度でした。1クール目で芽球が無くなったのならもう終わりで良いのでは?と思いましたが、駄目押しのために最低でもあと2クールは行うようです。2クール目には、退院が見えてきた頃に脳への転移を防ぐための抗がん剤投与が追加されたので、他クールより少し長めの入院でした。

白血病の治療は悪い部分を切って終わりというものではなく、抗がん剤によって低下した血球の回復が遅い人もいるし、血球が下がっている時に感染症を起こしてしまう場合もあるので、そうなると当然ながら入院は長引きます。白血病は他のガン治療に比べて入院日数が長いのかな?という気がしました。

母は幸い感染症を起こすことはありませんでしたが、まさに血球の回復が遅い人だったので「私って奥ゆかしいのよ〜💕」なんて冗談を言っていましたが、新年早々から治療を始めて正式に退院出来たのは4月半ばでした。